へんけんてき な ないよう の ぶろぐ

さてー。昨日まで米川正夫さん訳の罪と罰を読み、今日からは江川卓さん訳の罪と罰を読んでいるのですがやっぱり翻訳家によってけっこう作品自体の雰囲気の違いがあるもんですねぇ。
ドストエフスキー翻訳家の雄、米川正夫さんのバージョンは、いかにも難しげな哲学もしくは思想をからめた、主人公ロジオン・ロマヌイチ・ラスコーリニコフの頭の中をぶちまけつつ周りの描写や第三者の思考(しかし詳しくは描写されてないので言葉と雰囲気を読み取らせる形っぽい)を薄い幕の外で眺めているような感覚というような読者突き放し型で、本を閉じた後に内容を考えさせるような余裕を持たした印象を受けました。
そして江川卓さんの翻訳バージョンは、時代の流れなのでまあ普通の事なのですが今の言葉に基本的な言葉を置き換えられていて、場景などを把握するのがとても易しく心理描写や人々の思考、その場の雰囲気が無意識のうちに思い描かれ安心してのめり込んで読める、というような印象ですね。


まあそんなことはいいのですが、ドストエフスキーの本を読んで著者に抱いた印象は、この人はなんて自意識過剰でいいとこ見せたがりでそのくせ根暗で大雑把な人間なんだろう!って感じです。
まあ「地下室の手記」と「罪と罰」しか読んでないし、なんせずっと昔の人なので間違ってるかもわからないし個人的な意見なので気にしないでください。しかし地下室の手記で自分の事は棚に放り上げて人に説教かましまくるところは腹が立ったわー。


そして本題。ドストエフスキーの本を読んで同じ印象を受けた作品が複数有る事に思い当たったので、それを紹介したいと思います。
あくまで個人的な意見で「みんなこう思ってないとかおかしい!」とかは全然無いのでご了承ください。


題材はドストエフスキー著「地下室の手記」です。
まぁ当時の背景とか思想とか生活水準とかを抜きにして、内容はそのままに現代に置き換えて端的に内容を説明すると、
「ひょんなことから手に入った親戚の遺産を食いつぶしつつ生活しているニート君、ずっと部屋にひきこもりっぱなしでうだうだしつつも、大学へ行った同級生や公務員になった同級生を見かけると(俺だってちゃんと勉強さえすればあんなヤツより良い職業に就ける)だの、顔を合わせると皮肉や高慢な態度を取り、そのくせ内弁慶のために腹の中で思っている事は言えずに過去の事を思い返しては布団の中でじたばたする日々。
たまたま行ったファミレスで同級生と出くわしこの度同窓会が開かれることを知る。(えっ?俺呼ばれてないんだけど)とか思うも空気を読まずにいつもの上から目線で自分も出席することに決める。
そして出向いた同窓会では、「誰、あいつ呼んだの」とか「ウゼー」とか散々陰口を叩かれた挙句にベロベロになって逆ギレ。場の雰囲気をもっと壊してやろうと友達(向こうはそう思って無い)につっかかり2次会に参加表明するがもちろんハブにされて心が折れそうになったところでとうとう離脱。
ムシャクシャした気分のまま帰路に着こうとすると飲み屋街の一角に風俗発見。ちょっとでもスッキリしようと中へ入り、ポン引きに言われるがままに個室へ。なんとそこには年端も行かない(20歳くらい)可愛い子が!普通の人ならラッキー、と思うのであろうがそれはさすがのニート君。その女の子に親の顔が見て見たいだの、自分は如何にお前より尊厳があるだの説教を始めます。しかも作者の意図が含まれているのか長々とページを割いて2度に渡って!しかしここらへんの印象が強すぎてクライマックスを忘れてしまいました。」
この解釈はうちが独自にしたのであり、内容は読み手によって変化するので忠実とは言い難いので気になる方は本を貸してあげます。


さてまずは太宰治氏。「斜陽」や「人間失格」でもわかるとおりこの人も主人公と自分を重ねて書くタイプですね。
この人の作品(とは言っても後期を主に読んでいるので昔は違ったかもしれない)は、基本的に主人公はモテモテで傷つきやすく、自分の才能を自分で認めているにもかかわらずすぐに自殺願望や覚せい剤などに頭を支配されていく破滅型の典型的な人間が多い気がします。
裏を返せば「他人のプレッシャーにより真価を発揮できない」とか、「俺は実はこんなところで燻っているような人間ではない。演じているのだ」とか基本的に他人を見下していて、なおかつそんな弱い自分自身を嫌っているという矛盾した人格から逃げようとして自滅していくのがパターンな気がします。


おつぎは花沢健吾著作のマンガ、「ボーイズ・オン・ザ・ラン」です。
ただいま「アイ・アム・ザ・ヒーロー」連載中で、このマンガはすっごく面白いのですが、その前の作品であるボーイズオンザランは作品としては夢中になったのですが、作者の屑性がありありと見て取れて個人的にはこの本を面白いとか共感できたとか入り込めたとか諸々言う人間とは根本的に仲良くなれないですね。
チラッと内容を紹介しますと、主人公はいたって平凡なサラリーマン、好きな子が出来てもライバルが出来ても目に見えた努力や自分自身を変えようとかは全くしない、頭の中では色々考えているみたいなのですが年齢に添った考え方や行動ができないピーターパン症候群。しかし好きな女の子がライバル会社のモテモテ営業に寝取られたあげく色々あって捨てられた時には憎悪に背中を押されて行動します!
とまああらすじだけ言えば普通のストーリーなのですが、好きな子の元カレに喧嘩を売り、その女の子が物凄く迷惑がっているのに対し自分がスッキリするためだけに相手の会社に乗り込んで行って部下を殴り倒したり、女の子と相手の問題に正義と言う名の自己擁護的な大義名分を割り込ませたりという、うんざりするほどの自己視点&作者の意図が含まれまくりでこの作者は周りの物事や人の気持ちを考えることが出来ないのか?という嫌疑が作品を読んでいる間じゅうつきまといました。
後日作者のインタビューの中で「最初のヒロインは自分の嫌いなタイプの女の子だから作品の中でボロボロにしてやった」というのを読み、ますますこの人も自己顕示欲が物凄く強いわりに、周りに対して何も言うことが出来ないタイプの人間なんだな。と感じました。
近いうちに全巻買って店の本棚に並べますので、気になる人はどうぞ読みに来てください!


ああつかれた。あとは銀杏BOYZとかいうバンドもそういう匂いがしますね。
非モテ童貞からのクラスで目立つやつに対しての妬みや、かわいい女の子に対しての過去の経験による無意識的な恨み、自分の純粋性を際立たせる為のあえての汚い表現。「まったくいつまで学生時代の後悔をひきずっているんだ?」と思わずにはいられません。大体歌詞の中で童貞童貞言ってますがメンバーみんないい歳だし絶対に違いますからね。視聴者への共感を得る為に一番衝撃があって尚且つ誰も表立って言わない、耳に残る表現方法のひとつとして使用しているのでちょっとずるいと思います。まあそこがいいところなのですが。
CD聴きたい人は貸します。なかなか他に無い青臭い音楽で良いですよ。


ということで、映画版「ボーイズ・オン・ザ・ラン」のタイトル曲、銀杏BOYZボーイズ・オン・ザ・ランをどうぞ。