にほんしょうぎれんめいかいちょう・よねながくにお

日本将棋連盟は「将棋道の普及・発展を図り、併せて国際親善の一翼を担い、人類文化の向上に寄与すること」を目的とした、四段以上の棋士によって構成される団体です。5月26日に開かれた日本将棋連盟の総会で、米長会長や谷川浩司専務理事などが常勤理事として選任されました。この笑顔ピース写真の掲載は、この選任を受けてのものです。


枡田幸三に「彼だけは会長にしてはいけない」と言われていた米長さんですが、将棋連盟会長に再選任されましたね!
この人もなかなかの伝説を持っている人です。
江戸時代の名言に「この世の悪事をやりつくしたら、あとは将棋指しになるしかない。」というカッコイイ言葉がありますが、まさに米長さんのためにあるような言葉ですね!あ、誉め言葉です。


米長 邦雄(よねなが くにお、1943年6月10日 -)は、将棋棋士。2003年12月引退。日本将棋連盟会長(2005年 - )。

タイトル獲得数19期は歴代5位。永世棋聖の称号を保持し引退前から名乗る。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号は85。(うぃきぺでぃあより)



携帯サイトで「米長邦雄のさわやかイロザンゲ」を連載。内容はモテる秘訣、自身の過去についての赤裸々な告白だった。
49歳11ヶ月で名人位を獲得(50才名人)

劣勢になると局面を複雑にする手を指して逆転を狙う棋風から、「泥沼流」と呼ばれる。本人の見た目から「さわやか流」とも呼ばれた。

加藤一二三王位戦の昼食に「すしにトマトジュース、それにオレンジジュースとホットミルク、天ざる」を注文。
三時には「メロンにスイカ、ホットミルク三杯にケーキ、モモ」を注文
米長もみかんお盆いっぱいを注文するが、おやつ合戦に負けた米長が勝負にも負ける。

十段戦で、加藤一二三、米長とのミカン食い決戦、記録係が「ミカン臭くて死にそうです。」と助けを求める。
ミカン合戦に負けた米長が勝負にも負ける。

達人戦、準優勝賞金を手渡すために、米長会長と加藤一二三が向き合っただけで場内爆笑。

四冠王になる前には、「角頭歩戦法」や「新鬼殺し戦法」といった奇抜とも言える序盤戦術を開拓していた。「角頭歩戦法」はタイトル戦(1975年の王将戦第1局)の舞台で使用し、大きなインパクトを与えた。しかし「角頭歩」についてはすぐ相手側の「回避策」が出てしまったが、それに影響を受けた戦法「立石流」の源泉となった。また「新鬼殺し戦法」は初心者向けのハメ手と戒められていた鬼殺しを立派な一戦術として確立させている。

四冠王となった頃に「米長流急戦矢倉」の開発、対振り飛車における「玉頭位取り」や「鷺宮定跡」の整備といった功績がある。「矢倉は将棋の純文学」という有名な表現は米長の言葉である。



今でも将棋の話になったら米長さんのエピソードを耳にします。
これからもがんばってほしいですね!!(ツイッターを)